早いもので、あの日から10年が経ちました。改めまして、犠牲となった方々に哀悼の意を表します。
10年前の状況
断たれた交通手段
10年前の地震の日はヤマハ高輪ビルに勤務中でした。まだ新しい部署に配属されて半年も経っていなかった時期です。
電車での交通手段が断たれ、ビルの外の国道は普段では考えられないような数の歩行者であふれていました。
普段電車で帰宅する人たちが、こぞって徒歩で帰路についている、かなり異様な光景でした。
メールも電話も不通。自宅にいる家族とも連絡が取れません。結局私も上司とともに徒歩で帰宅するという選択をしました。
まあ、勤務地は東京港区で、自宅は千葉県松戸市。30km以上の距離があります。どう考えても無謀だったのですが、家族の安否が心配だった私は徒歩帰宅を決行。
結局、10kmほど進んだところで父親と連絡を取ることができ、バイクで迎えに来てもらうことになりました。今にして思うと、連絡取れなかったら朝まで帰れなかったんじゃなかろうか…。
一緒に帰宅した上司とは途中で別れましたが、これがキッカケでなんだか絆が深まったような気がしています(笑)
無謀な行動を反省…
まあ、ちょっと考えれば、夜間に革靴で都内から千葉までなんて歩けるわけがないのですが、このときは冷静な判断ができていませんでした。かなり反省です。。もうしません。。
SNSも大事
家族は実家に避難
結局家族とはツイッターを通して連絡を取ることができました。こういうときはSNSが活躍します。
心配した義両親が車で迎えに来てくれたらしく、嫁と子どもたちは数日間実家で過ごすことになりました。
自宅は熱帯魚水槽の水がこぼれた程度で、大した被害はなかったのが救いです。
防災グッズも購入
今回の反省から、今では家族全員の連絡用SNS登録や、オフラインで使える地図アプリ、家には水や食料、ライトなどの最低限の備蓄はするようになりました。あとは冷静に行動できるかどうかです。
もちろん、そんな災害がもう来ないことが一番望ましいんですけどね。。なかなかそうもいかないので、常に心の準備はしておきたいと思っています。