ここ数年、生まれた世代を基準にして「〇〇世代」とひとくくりにして呼称するのが一般的になってきました。
もともとは「団塊世代」ぐらいしかなかった言葉ですが、「ゆとり世代」あたりから呼び方が増えていき、最近では「さとり世代」「Z世代」なんて言葉も生まれています。
私の生まれた世代(1970〜1982あたり)は「ロスジェネ世代」などと呼ばれています。
ロスト・ジェネレーション。すなわち「失われた世代」です。ひどい呼称だと思いませんか?私は怒りすら感じます。
なんつーか、存在してないみたいなニュアンスも感じられるしね。
バブル崩壊の影響をモロに受け、就職氷河期で正社員職に就けず、やむなく非正規雇用として働くも給料は伸びず、いつクビを切られるかという不安を抱えて生きる。
生まれた世代が違うだけで不利な生き方を強要される。ひどい話です。
しかしながら、この世代の人間でも要領よく世の中を渡り、経済的に成功している人たちだってたくさんいます。同世代間での経済的格差が大きいこともロスジェネ世代の特徴です。
同じ世代を過ごしてきているのに、なぜここまで大きな社会的格差が生まれてしまうのか?
理由はたくさんありそうですが、ここではその1つ「他人に頼る力の不足」について考えてみたいと思います。
他人に頼る力の不足?どういうこと??
要するに「自己責任という言葉にとらわれすぎている」という話です。
「自己責任」という呪縛
教育による固定観念
ロスジェネ世代の多くは、他の世代の人達と比べても「自己責任」という言葉にとらわれている人が非常に多いです。
自己責任=自分の行動の責任は自分で取る
「そんなの当たり前!」と感じる人も多いかもしれません。しかしロスジェネ世代の多くは「原因が自分じゃなくても、自分のことは自分で責任を取るのが当たり前」と誇大解釈してしまう傾向にあります。
なぜなら、親からも学校からも、そういう教育を受けてきている世代だからです。
バブル世代の人間たちから「たくさん勉強して、いい会社に就職すれば人生安泰。そんなのできて当たり前」という前提のもと、義務教育から高校、大学までを過ごしてきています。
でも実際には、頑張って勉強して大学を卒業後に待っていたのはとてつもない不景気と就職氷河期。当たり前だったはずの就職活動すら、まともな結果を出すことができません。
「自己責任」という言葉だけが残る
勉強→就職→終身雇用で人生安泰。いままで当たり前と思われていたレールが、我々世代の就職活動の矢先に外されてしまったわけです。
でも「自己責任」という考え方だけは、親や学校の教育によって私達の心のなかに定着しています。
その結果「景気による就職難」という明らかに自分の責任ではない事象が原因であっても、就職できなかったのは自分の責任と考えてしまう人が増えてしまいました。
そして「当然のことができなかった自分は情けない人間だ」と考えるようになってしまいます。
自己責任を刷り込む教育による、いびつな考え方です。
逆に、この世代の人間でも「自己責任」という言葉にとらわれずに自分の意志で行動できた人は、仕事や生活においても幸福度の高い人生を歩んでいます。
同じ教育を受けてきているのに考え方に違いが出てくるのは、やはり育った環境や元々の性格など、いろいろな要素が複雑に絡み合っているのではないかと思います。
助けてと言えない
レールに乗れなかった自分は「恥」
親世代があたりまえのようにに乗れていたレールに、自分たちは乗ることができなかった。
「自己責任」という言葉を刷り込まれてきた我々世代は、このことを「恥ずかしい」と感じるようになります。恥ずかしいことだから、自分だけで解決しなくてはいけないと思いこんでしまいます。
その結果、どんなに苦境に追い込まれても、他人に「助けて」と言うことができない人間が多数生まれてしまったのです。
ここでいう「他人」とは、親兄弟や友人を含めた、すなわち自分以外のすべての人間を指します。
「他人に頼る」という発想がない
もう10年ほど前になりますが、NHKスペシャル「助けてと言えない」という、貧困に苦しむ30〜40代にスポットを当てる番組が放送されたことがありました。
書籍にもなっています。
この番組には、自宅で餓死するまで誰にもSOSを出さなかった40代男性や、寝る場所もなくネットカフェや公園を転々としているにも関わらず、NPOの支援をかたくなに拒む男性などが登場します。
自己責任という言葉に囚われ、助けを求めることができない。もしかしたら「助けを求めるという発想自体、頭に浮かばない」のかもしれません。
一般的な目線で言えば「餓死するまで助けを求めないなんて異常だ。どうかしている」と思うかもしれませんが、私にはこの男性の気持ちが痛いほどわかります。
私も数年前に職を失って、かなりの生活苦に陥った際も「他人に頼る」という選択肢は最初はありませんでした。妻や子どもの生活だってかかってるのに、自分ひとりで解決するのが正しいことだと思いこんでいました。
今にして思えば、あまりにも浅はかな考え方だったと思います。
他人を頼るのは悪いことではない
貧困脱出のきっかけ
私の場合は、生活苦だった時期に社会格差や差別、貧困問題などに興味を持ち、自分と同じような考えの人間がたくさんいるということを知れたことが、逆に行動することへの原動力となりました。
「自分ひとりの力なんてたかが知れている」ということを認識できたことで、他人を頼ることへの抵抗が少なくなったのかもしれません。
それ以降は、数少ない仕事の知り合いにに声をかけたり、今までとは違う方法で稼ぐ方法を考えたりと、積極的に行動することができるようになり、なんとか生活苦の状況は乗り切ることができました。(裕福ではないですが…)
「自分ひとりで解決する」という自己責任論の考え方を捨てることにより、人生に活路を見出すことができました。
「迷惑がかかるから」はとりあえず置いとく
こう話すと「人に頼ってばかりだと迷惑をかけてしまうから…」と考えて、SOSを出すのをためらってしまう人も多いかと思います。
でもよくよく考えてみれば、人は生きてるだけで他人に何かしらの迷惑をかけている生き物です。少しぐらい「手を貸して」と頼むぐらい全然OKですよ。
長期間ずっと頼りっきりというのはさすがに良くないかもしれませんが、苦境から脱出するキッカケをつかむぐらいであれば、喜んで手を貸してくれる人はけっこうたくさんいると思います。
まとめ
いままで「自己責任」という言葉にさんざん振り回されてきたのに、急に他人に頼れなんて言われても、すぐに実行するのは難しいかもしれません。
でも実際問題、経済的苦境から脱出するのは自分ひとりの力だけでは無理があります。
最初は自分ひとりではどうにもならないということを認識することから始めましょう。それが認識できれば、他人に頼ることへの抵抗が少しずつなくなっていくはずです。
そして誰か一人でもいいので、自分の悩みを話してみましょう。最初さえ乗り越えれば、その後は少しずつ行動できるようになってきます。
なにごとも最初の一歩が肝心です。一歩踏み出して、自分の人生を変えてやりましょう。