現在、渋谷駅南西部の再開発のため桜丘町周辺の解体工事が進められている最中です。
この再開発地区にエレクトーンシティ渋谷というヤマハのビルが含まれています。この施設、私にとってはエレクトーン専攻の学生時代、さらにヤマハでのクリエイター時代と、人生の半分ぐらいにおいて関わってきた非常に縁の深い建物なんです。
取り壊しを前にビル全体を使ったアートイベントが開催されていたので、ノスタルジーに駆られて行ってきました!
※アートイベントは現在は終了しています
渋谷駅南西部の再開発
懐かしの職場
そもそもこのエレクトーンシティ渋谷、私が20代前半のときに着メロ制作をしていた職場なんです。ここが私の社会人としての音楽キャリアのスタートであったと言えます。
直前に務めていた会社社長のやり方がどうしても受け入れられず、入社から2ヶ月で逃走してきた直後、たまたま見かけた「着メロクリエイター募集」の求人広告を見て面接を受けたのもこのビルです。
あのとき会社から逃走してなかったら、今の自分はなかったんだなぁ…。
エレクトーンシティ名物「心臓破りの坂」。実はまだまだ序の口で、このあと5Fまで階段が延々と続きます(笑)
古い建物なので、エレベーターがないんですよ…。
そして開催されているのはArt Photo Tokyoというアートイベント。こちらについては別記事で書きます。
内部の様子
入り口を入るとまず階段!
2Fは楽譜の制作・販売を行うヤマハミュージックメディアのオフィスのあったフロアです。
さらに階段を登ると大ホールと楽器練習室のある3F。
エレクトーン専攻だった学生時代には1度だけステージに立ったこともあります。懐かしい。奥にある制作室は立入禁止でした。
そして私のデスクのあった5F。ここでケータイカラオケというガラケー用のデータを作っていました。
また奥の部屋ではミュージックレッスンオンラインというヤマハ音楽教室のインターネット版サービスのレコーディングなんかもやっていました。
スタジオではないので防音効果はなく、飛行機やヘリが飛んでくるたびに録音をストップしていたのを思い出します(笑)
レコーディングの基礎はここで学ばせていただきました。
こうして思い返してみると、私の音楽キャリアのレベルアップはエレクトーンシティが起点になっていたと言えるかもしれません。なくなってしまうのは非常に残念です。。
ホールの落書き
なんとなくホールを見回していたら、ステージ横の柱に落書きを発見しました。スタッフがビル解体決定後に書いたんだと思います。
”大きな事故もなく終えることができました。ありがとうございました。
素敵な空間をあたえてくれてありがとう。そしてみまもってくれてありがとう”
”これからも素晴らしい音楽に”
なんだかグッときますね。音楽の一時代を築いてきた施設、その精神を受け継いでいきたいものです。